とある仙台民の人狼感想ブログ

ある日人狼ゲームにハマり、人狼放送を通じて対面人狼まで始めた大学生が、時々感想を書き込むブログです。たまに人狼以外のことも書くかもしれません。よろしくお願いします。

人狼ゲームにおける初日の議論~作戦派か雑殴り派か~

巷で流行りの13人村。このルールでは、初日の議論をどう進めたいか?ということがしばしば話題に上がる気がします。具体的にいうと「作戦を行う」もしくは「自己紹介などから雑殴りする」の二つが主な流れではないかと感じています

(ちなみに、議論開始すぐに占いと霊媒を一斉出しして云々という進め方も存在するかとは思いますが今回はそのケースは除かせて頂きます。また、「初心者が多そうだから初日はなるべく役職を出そう」のような類の提案については一種の作戦として今回は考えます)。

 

長いこと人狼ゲームは視聴するだけだったいわば「1視聴者」としての自分と、勇気を出して東京へ出かけてからの「1プレイヤー」としての自分、両方の立場からこの話題について少し語りたいと思います。先に書いておくとこれから述べるのはあくまで一個人の感想であり、おそらく違った考えや反論もあるかとは思いますがそこはご了承ください。

 

まず「1プレイヤー」としての視点で述べるのであれば正直初日はどちらでも構いません。どちらであっても楽しむことができる、もしくは有意義な議論が出来ればそれでいいと思うからです。作戦をしようが雑殴りしようがその最終的な目的は「人狼を追い詰めて投票すること(もしくは人間へ誤誘導すること)」、「みんなで楽しく会話を楽しむこと」であることに変わりないと思うからです。

 

 

 

次に「1視聴者」として。ここからが私が特に話したいと思う部分であり、かつ意見が分かれるところだと思います。私としては放送や動画などの初日は圧倒的に「作戦を行う」流れの方が好きです(無論、作戦の中身にも寄りますが)。その理由は大きく三つ。①客観性の高さ、②見るべき視点の分かりやすさ、③多様性です。

 

①客観性の高さについて

これ、どういうことかと言いますと雑殴り議論って大概「自己紹介がどうだったか」で始まりがちですよね?でも、自己紹介での挙動や発言をどう見るか、そもそも誰のどこに注目するかって人それぞれの部分が大きすぎると思うのです。つまり、「実際にゲームをしているプレイヤー」と「それを見ている視聴者」の間で注目する視点や思考に解離が生じてしまう可能性があると考えます。

 

そしてその自己紹介の挙動観察発表をもとに議論が進むわけですが、例えばもし初日役職者のCOのような大きな動きなく投票まで進んでしまうと、結局二日目に何らかしらの動きが発生するまでやきもきしながら待たなければならなかったことが何度かありました。つまり、初日をどういう気分で見守ればいいかわからなくなってしまうことがあるということです。また、この場合ですと投票行動ぐらいしか明確に狼探しになりそうな場面が現れないこともあり、ゲームに感情移入できないこともままあるのです。

 

一方作戦の場合、中身にも寄りますが単純に動きが見えやすくなることから初日から盤面の把握がしやすくなったり、推理を楽しむことができやすくなりそう。また、初日から作戦ありきで役職が出てくれると客観的な視点(いわゆる神視点ですね)での思考がしやすくなるのもありがたい。そして、作戦に関する考察は視聴者も自由に行うことが出来ます。放送人狼における作戦って、視聴者に配慮したものも結構ありますからね。

 

②見るべき視点のわかりやすさ

ここでいう「視点」とは、思考のための注目点という意味ではなく物理的なもの、つまり「カメラ」的な意味です。実はこれって結構重要だと個人的には考えています。

先程の話と被りますが、初日の雑殴りって自己紹介の挙動から入りがちですがその情報をプレイヤーと視聴者が完全に共有することは現状100%不可能であると断言できます。なぜなら、  

 

視聴者は「プレイヤー全員の挙動について、任意のタイミングで任意の人物を特に着目して任意の長さで観察することはできない」からです。

 

これってある意味当たり前の話で、視聴者が見ることが出来る部分というのはあくまで「第三者のカメラマンさんが映してくれた部分」だけだからです。プレイヤーの人たちは自分自身がカメラであり、カメラマンです。だから自分が得たい情報は自分の意思で能動的に得ることが出来ます。でも視聴者にはそれができません。だから、自分が知らない情報をもとに議論をされると、どう捉えるべきかわからなくなってしまうことがあります(というか、私はありました(笑))。

 

一方作戦の場合、半強制的にではあるものの何らかの形で全体として動きを作ってくれる上、この場合ですとカメラマンさんも結構引きで撮ってくれることが多く、プレイヤーと視聴者間での情報の多さと内容にあまり齟齬が生じないことが多い(ないとは言いません)。そのため、あたかもプレイヤーと一緒に議論しているかのような気分になれることも多いのです。

 

 

 

③多様性 

これについてはそんなに説明がいらないと思います。初日が雑殴りだけだと議論展開っていつも似たり寄ったりになりがちです。飽きてくる人もいるかもしれません。一方作戦というのは発案者の個性と独創性が現れます。いつもと違う展開が生まれることもあります。あと、単純にやっていて楽しいことも多い。こんな感じですね。ここについても語るべきことはそんなにないです。

 

 

まとめると、「プレイヤー」と「視聴者」のゲームに対する捉え方には差が生じざるを得ず、それに伴って得られる情報も違う。何を重視するかにも寄るが、私のように初日からの推理やプレイヤーへの感情移入(もしくは情報共有)を重要視する立場からすると、初日は「作戦」の方がありがたい傾向にある(かもしれないw)ということですね。

 

 

 書いてみたら想像以上に長くなってしまいました。改めて述べておくと、だからといって初日の雑殴りを完全否定はしません。プレイヤーが楽しそうに議論するのを眺めるのが結局のところ一番好きです。その手段が初日の雑殴りであれば私はそれでいいと思います。ただ、作戦が好きな視聴者の中にはこんな考えの奴もいるよ、ということを伝えたいがためだけにこの記事を書きました。ここまでお付き合いしていただけた方々に感謝を申し上げます。

それでは!